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ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

コメンテーターって適当に言えばよいだけだから楽そうだよね ~大阪国際観戦より~

遅く起きた昼は、豚肉トマト缶炒め丼を食べながら、大阪国際女子マラソンを観戦。

青森の星、福士選手を応援してました。結果は2時間24分前半の自己ベストで第2位。最後は逆転されてしまったこともあり、残念と思う面もありますが、本当に凄いなぁ、と感じました。おそらく、目標としているであろう世界選手権には大きく近づいたのではないかと思います。

さて、今日はマラソン中継におけるコメントについて考えてみます。

 

今日のレースでは、25キロ付近で福士選手が元気っぽい感じ、他の選手は割といっぱいいっぱいという状況でした。そこでコメンテーターの男の人は、「ここで出て欲しい!」としきりに言ってましたね。それに「体力は余裕だろうから最後まで持つに違いない」と。この発言は30キロ付近になっても続きました。

しかし実際はどうだったでしょう?35キロ付近から福士選手は疲労が出始め、ペースを落としていきました。そして最後には逆転を許してしまう訳です。これは結果を見た後で書いているので、何とでも言える訳ですが、もし福士選手が25キロ付近で飛び出していたらどうなっていたでしょう。おそらく、疲労の蓄積が進み、より早いタイミングでペースを保てなくなっていたことと思います(のりにのって、最後まで逃げ切れたという可能性もゼロではありませんが。)。

 

もしそうなっていたら、このコメンテーターは何と言ったでしょうね。練習が足りない?残念でしたねー?はたまた、これでは世界には通用しない?(……というか、福士選手が後退し始めてからは、このコメンテーターなんかコメントしましたっけ?)きっと自分のコメントは棚に上げて、一見もっともらしいことを適当に言うに違いありません。言うのは簡単だけど、この人は結局自分の発言に責任を持つことはないんですよね。

箱根で早稲田贔屓と言われる元名選手もそうですが、予想が外れまくっても、別にどうってことない。間違いを認めることはないですし、謝るなんて殆ど考えられないくらいです。以降コメンテーターとして採用されなくなるということはありません。むしろ、バカっぽいことを言ってた方が、視聴者は面白がる面もあるので、積極的に採用されているようにも思えます。

ひねくれた考え方かもしれないけど、こういう無責任なコメンテーターって、選手を馬鹿にしてるとしか思えません。大々的にメディアに出る人がこんなにも好き放題に行っている状況では、日本のスポーツ文化は成熟していかないと思います。正直、こんな人をテレビに出すのは辞めて欲しい。下手するとスポーツ関係者全体が馬鹿にされかねないですし。

 

話を変えます。

nobitaは大学1年の頃、インカレ優勝の大先輩とご飯をご一緒させて頂いたことがあります。周りには、サッカー日本代表の試合を観戦する人がずらり。「まじ、あそこで動けないとか意味わかんねーよ!」、「○○(選手の名前)マジ使えねー!!」とか言いたい放題です。その時、先輩がぽつり。「この人たちはアスリートがどれだけしんどい思いをして練習してるか知らないから言えるんだよね。自分では出来ないことをよく好きにいえるよね。」と。

本当にそう思います。俺らの税金で国際大会とか出てるんだから、好きなように言ったって文句ないだろ、と言われるかもしれません。でも、税金っていくら?多分、1人当たりの税金は年間10円も投入されていない。それで文句やダメだし出来る権利を主張するってどうよ?と感じてしまいます。

 

するスポーツ、みるスポーツ、ささえるスポーツと、スポーツとかかわるための選択肢は増えています。そのそれぞれが、文化的に成熟していくことを望みます。プロ的な選手に対して、あーしろこーしろという期待(?)なしに、純粋に応援することは出来ないものでしょうか?