ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

「できない」を知らない・忘れてしまった悲しいスポーツ指導者たち

「これが何でできないのか、ホント分かんないんだよねー。」

長く競技を続けていると、いろいろな方から指導を受ける機会があります。nobitaも、本当にたくさんの方から指導してもらったり、アドバイスをもらったりしました。中には、元トップアスリートの先生からもご指導いただけたりします。冒頭に書いたのは、元トップアスリートの先生から指導していただいたときにうかがったことです。日本の場合、専門職としてのコーチ業が確立してないこともあって、元トップアスリートが指導することが多くなるんです。

 

「え!何でできないのか分かんないの!?」と言われて、すごく驚いたのを覚えています。

多分この方、本当に分からないんだと思います。なぜなら、初めてやったときからできてしまっていたから。できない状態を再現することは出来るのだと思いますが、そこからどういう過程を経ればできる状態に持っていけるのかが分からない。一流選手が必ずしも一流のコーチ・監督にはなれないと言われる理由の一つだと思います。

 

ただ、こういった人は世間一般から見たら外れ値的存在なので、出来ないことが分からない、と言うのも仕方がないかなーと思う面もあります。

きっと、同じようにセンス、繊細な感覚、技術的修正能力の高さを備えた、いわゆる才能のあるジュニアの指導はできるでしょう。こういった才能ある選手が求めているものと、元トップアスリートの伝えたいことが合致するからです。それは、基礎的、普通的なことができるのは当然で、重要なのは、そこから一歩抜きんでるためのプラスアルファです。

 

才能ある選手にとっては良いとして、普通っぽい人は「何でできないのか分かんねー」なんて言われたらショックを受けますよね。ただ実際には、元トップアスリートではない人が指導者になった場合でも、同じような現象が起こったりします。

これはどうしてでしょう。おそらく、自分ができなかった頃の感覚を忘れてしまうんだと思います。私自身、自分の運動能力の変化について、意識していなければ忘れてしまっていたでしょう。てか、たぶん忘れてしまったことも若干あります。これから自分が競技から離れてしまえば、加速度的に忘れる可能性もありますね。

 

こういったことを考えていると、体育スポーツの分野って、「引退」があるのが特殊だよなー、なんて思っています。たとえば、学習塾の先生なんかは、常に生徒よりも賢くなければなりません。芸術家は、たいていおじいちゃんおばあちゃんになっても現役です。若い人たちとも、ずっと勝負し続けなければなりません。

これに対して、スポーツの分野って引退しちゃったら自分は動かなくなっちゃうことのほうが圧倒的に多い。40歳くらいになると、その辺の高校生と勝負して負けかねない。だからか知らないけど、余計に動かなくなる。たまに動くのを見ると、見る影もないって感じに……。

こういった人たちは、自分ができなかった頃のことなんかすっかり忘れて、現役だったころの、一番良かった感覚をもとに指導しちゃったりします。んでもって細かいところとか自分のこだわりが強い部分に関心がいきがち。基礎の教え方が下手な人も大勢います。たぶんこの辺に、ジュニア選手にとって本当に必要なことと、指導者が教えたい、あるいは実際に教えたいことのギャップみたいなことが生まれてくるんでしょうね。

 

できない感覚がしっかり分かる指導者。

需要は多いと思うので、ぜひとも増えてほしいものです。