ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

「結果のみにこだわる」vs「本気で遊ぶ」

スポーツは遊びか、それとも厳しい努力を積み重ねる人間鍛錬の場か、なんて議論はよくされてますよね。先日元400MHのトップ選手でいらっしゃる為末さんも、そのことについて言及されていました。為末さん的には、本気で遊ぶということなのかな、と思います。私のような三流選手がこんなことを言うのもなんですが、為末さん同様、この感覚については非常に大切だと感じています。

 

私も結構マジで競技に取り組んできました。周りの選手たちもマジです。ガチです。

でも、競技スポーツが競争を前提としている以上、勝つ人もいれば、必ず負ける人も出てきます。年齢を重ねてくると、記録の伸びも鈍ってくるのが普通です。まぁ、そういう思い込みを打破することが重要な気もしていますが。

 

そうなると、勝ちにばかり、記録にばかりこだわっている選手は、急に競技が嫌になってくるんです。僕自身、結果に拘りたいと思っていましたので、このことでかなり悩みました。

大学4年間で自己ベストを出せたのはたったの2回。今思えば、それでも悪くない方だったのかもしれません。一度もベストを更新できないまま大学生活を終える仲間も、決して少なくはありませんでしたので。

スポーツ選手は、外から見ると、明るくて活発で、悩みなんて何もなさそうに見えるかもしれません。でも、結果が出なかったりすると本当に落ち込みます。心を病んで引退する人だっています。それも、例外的な人という訳ではなく、僕の感覚では相当数いると思われます。

 

では、このような事態を回避するためには、どうすればよいでしょう?

そこで出てくるのが、冒頭に出てきた「遊び」的な感覚です。遊びというと、多少ふざけたイメージをもたれる方もいるかもしれませんが、本気で遊ぶ場合には、少しもふざけたところはありません。スポーツに取り組む際に「本来的な楽しさ」を忘れないようにすることで、本気で遊ぶことができるようになる気がしています。

 

私のコーチが言ってました。

 

「競技は最高の遊びだ」

 

そう、最高の遊びみたいです。日々変化する自分の身体感覚に耳を傾け、対話し、自己の運動を分析・解決する。最高の知的遊びであり、スポーツに取り組むことで知らない自分に出会えることは、本当に幸せなこと。

実際、スポーツやってると相当な額の出費に迫られます。普通の趣味よりよっぽどお金のかかるものですよ。好きで、楽しんでやらなきゃもったいない。

私も、今でこそ頭では分かっているつもりです。まあ、まだまだ感覚的には完全に納得させられていない部分もあるのですが……。なんだかんだ言って勝てないとつまらない、という気持ちが残っていますので。

 

世の中には、自分の身体を全然知らないままに生涯を終える人が沢山いると思います。そういう自分も、まだまだ分からないことだらけです。練習に取り組む中で、新たな発見は数多く見つかります。それがジョギングなどの何千回も繰り返してきた動きの中からでも。

 

スポーツを本気で遊ぶという感覚が一般的になれば、スポーツに取り組む選手は、もっと幸せな競技生活を送れると思います。おそらく、競技それ自体を楽しんだ方が、競技成績も上向きやすいように思われます。なんといってもメンタルの安定は大きいですからね。

先日、女子長距離の福士選手や渋井選手の笑顔が、本気でスポーツに取り組む選手としてふさわしくない、という感じの論説を見ましたが、僕としては、それが彼女たちにとって一番良いパフォーマンスを発揮できるものであるなら、外野がとやかく言うべきことではないのではないかな、と思いました。彼女たちも本気で遊んでいる、死ぬほど苦しいトレーニングをしているはずです。その辺は、共感できなくても理解くらいはしてあげたいところです。

 

本気で遊べて、それをみんなが認め、応援する。

そうなったなら、それは素晴らしいスポーツ文化だと思います。