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ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

小さい頃、田舎者の僕は「東京の子はすごいんだぞ」と言われて育ちました

昔話

僕が小学生の頃の話です。

 

とある田舎の、とある小さな小学校に通っていた僕は、のんびりと暮らしていました。僕の学校は校庭に鹿が出るくらいのレベルで、一学年は50人に満たない規模でした。

学習塾に通っている子なんて、周りには殆どいなくて、本当に朴訥とした子どもが多かったように思います。そんなのほほんとした僕たちを見て、先生が言うんです。

 

「都会の子どもはものすごく勉強していて、お前らよりもよっぽど賢いんだぞ。だから遊んでばかりいないで勉強しなさい。」

 

僕は割合成績も良かったので、先生から引き合いに出され、

「ざしわらよりも勉強ができる奴なんてたくさんいるんだからな!」

と言われました。

 

その頃の僕は、単純に「へー、都会の子どもってすごいなぁ。」と思っていました。実際、田舎で生まれ育ち、学習塾と縁のないままに学生生活を終えようとしている僕にとって、未だに都会の子どもはすごいなぁ、という気持ちが残っています。

同時に、都会でものすごく勉強した子達は、すごい大人になるんだろうなぁ、と思いました。

 

そして今、僕はそんな元都会の少年少女たちと会う機会があります。いわゆる御三家の他にも、首都圏で有力な中・高に進学し、東大やその他の一流大学に入った人たちです。

んで思うことは、意外と普通ってこと。多分、今の僕が頑張ったところで受験知識なんかでは足元にも及ばないだろうし、確かに彼らの知的資質が優れたもので、かつ鍛え上げられてきたものなんだろうということは感じます。ただし、その一方で、別に能力的な面で彼らに大きく引き離されたとは思いませんでした。ま、勘違いかもしれませんけどね!

 

彼らと僕の差は、おそらくこれまでに築いてきた人脈とか、自身のブランディングとかになるのかな、と思います。その辺は、確かに受験勉強して都会の良い中学・高校に入らなければ手に入りにくいものです。そしてこれが非常に重要なものであると言われていることも承知しています。

 

僕は小学校から今に至るまで、大して勉強なんてしてきませんでした。もしかしたら、そのことが後々大きな付けとなって回ってくるかもしれません。それに、僕から見たら勉強ばかりしていたように見える元都会の少年少女たちだって、それなりに満足できる学校生活を送っているのでしょう。だからどちらが良いか、みたいな話は簡単には出来ません。

でも、これらのメリットを得るために、例えば就職等を有利に運ぶために、小中学校時代というかけがえのない時間を、受験勉強ばかりに費やすのが本当に良いことだろうか、と考えると、そうとも言えない気がします。

やや懐古主義的になりますが、社会のことなんて何も知らないままに、自由に遊んでいたあの時期って、人生において非常に重要なものであったと感じています。あの時期ん触れ合ったことの全てが、僕の人格形成に影響を及ぼしています。あの経験ができなかったら、僕は僕にはならなかった。勉強ばかりしていたら、僕は全く別の人間になっていたんじゃないかな。

 

だから、少なくとも現時点においては自分が遊んできた小・中・高校時代を後悔することはありません。まあ、この辺には別の理由もあるんですけどね。

 

先のエントリで、学生の本分は勉強だ!なんて偉そうなことを書いておきながら、それと相反するような内容を書いている訳ですが、これが僕の素直な気持ちなんですよね。

 

大学まで来たら勉強していることが評価の対象となるべきだと思っていますが、それ以前は、ある一定程度の目標を達成できる水準まで到達しているなら、それでよい気がします(一定の目標というのは、つまりは自分の志望する大学に入れるだけの学力を有しているかということになってくると思います)。

 

……なんだか妙な自分語りみたいなことを交えたら、僕のあいまいな価値判断基準が露呈してしまいましたね。

 

小学生の頃、都会の子どもたちはどのようになっていくのだろうと疑問を持ちました。そして今、とりあえず人生の中継ポイントみたいなところには彼らの様子を見ることができています。これから、彼らの勉強してきた経験とそこから得られた知識・技能がどういった形で彼らの人生に影響を及ぼし、彼らがどういう生活を送るのか、興味深く見守っていきたいと思います。