ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

雨ニモ負ケないこの人は、きっと就職できない。だけど僕は、こんな人になりたい。

雨ニモマケズ 

風ニモマケズ

……

イツモシズカニ笑ッテイル

 

小学生の頃、朝の全校集会で、暗記して朗読したことがあります。クラス全員で。

その頃は、まだこの詩について特に深く考えていませんでした。何だか寂しげな詩だな、という印象くらい。

しかし何故か、大学に入ってもその詩を忘れられませんでした。そして、時間が経てば経つほど、共感的に読めるようになったのです。もちろん、僕の勝手な解釈ですけど。

 

東に病気の子どもあれば、行って看病してやり

西につかれた母あれば、行ってその稲の束を負い

北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い

南に死にそうな人あれば、怖がらなくても良いと言い (本当はカタカナ一杯)

……みんなに木偶の坊と呼ばれ

褒められもせず、苦にもされず

そういう人に私はなりたい

 

本当に、そういう人になれたらなぁ、と思う。

優しさと潔さ、と言えばよいのだろうか。この詩の学術的な解釈について、僕は一切知らないのだけれど、なんというか、自然体の優しさを感じる。無為自然的な?分からないけど、そういう感じ。ちなみに僕は老荘思想にも魅かれる。

 

僕は今、就職活動中です。これからきっと、理想の人物、理想の人間像についても聞かれるでしょう。僕はこの詩に出てくるような人物でありたいと思っています。

しかしきっと、このことを面接官に言ったら、訝しがられるでしょう。それなら田舎で畑でも耕して生活すれば??と。

 

今の日本では、社畜という言葉もあるように、とにかく一生懸命朝から晩まで会社のために働く人間が求められています。少なくとも、大企業の中にはそういうところの方が多いのではないでしょうか。

そこではいかにも意識の高い、バリバリ働くサラリーマンが必要です。そして木偶の坊は要らない。それも理解できます。

 

理解はできます。

でも、実は今の日本に必要なのは、この詩に出てくるような人間ではないでしょうか。競争に次ぐ競争に明け暮れ、常に人間関係に気をもみ、空気を読むことに腐心する……僕はこの状態が理想とは思っていません。

みんなが無理をしているように思えてなりません。そう言うと、人生というものは苦しいものなんだ、という答えが返ってきそうです。それは確かに苦しいものだと思いますが、だからといって、そうあることが仕方がないものとして正当化されるものではありません。

 

僕はきっと、面接で理想の人物像を問われたときに、「雨ニモ負ケズ」みたいな人、とは答えません。世の中で僕に共感してくれる人は少ないと思うから。だから、もう少し意識高い系のことを言うのだと思う。

でも、僕の心の底では、やっぱりこんな人になりたいと思う。欲はなく、決して怒らない人。苦しさに耐え、いつも人にやさしい人。

 

そうやって「嘘」をついて社会人になることは、多分よくないことだと思います。

でも僕は、そうしなければ社会人として受け入れられない。だから「嘘」をつくんです。

 

僕は「嘘」をつくかもしれない。

いや、きっとつくのだと思う。

そのことで、誰かに非難されることもあると思う。

 

でも、それでも、

自分の心の中で、僕の理想とするこの詩の人を忘れない。