現役選手に「全盛期」なんてものは存在しない!
陸上競技会では有名な寺田さんのツイートを読みました。
内容は、現役選手に全盛期という言葉を使うのは難しいよね、って話。先日の名古屋国際女子マラソンで、野口みずき選手が2時間24分で3位になったことに関連しての話です。
ご存知の通り、野口選手はアテネ五輪の金メダリストで、元世界記録保持者、現日本記録保持者です。今までのキャリアの中での最高成績は、もちろん、五輪優勝やベルリンでの世界記録更新ということになるでしょう。
「全盛期」という言葉を使うのが、彼女の引退後であれば、特に問題はないと思います。しかし、彼女は現役選手で、しかも再び世界の舞台で勝負しようとしています。そういう人に対して「全盛期」という言葉を安易に使うことは、非常に失礼になるのではないかと思いました。
野口さんは大人の対応をしていて、記者や周りの人を不快にしないように、素直に「全盛期の何割程度ですか!?」なんて質問に答えていましたが、内心ではどう思っているのでしょう?おそらく、まだまだベストを更新して、昔の自分を超えたいと考えているでしょう。
僕の周りにも、各種目のトップ選手がたくさんいました。みんな驚くほど立派な経歴の持ち主です。まあしかし、いくら素晴らしい選手でも、次第に記録を伸ばすのが難しくなります。年齢を重ね、体力低下を気にするようになってきます。
本人がそれを認めるというより、大抵は周囲がそのことを気にし出します。ちょっと良い動きが出てくると、「全盛期の頃の動きに近い」みたいな話になる訳です。それが選手のメンタルに悪影響を与える可能性があるにもかかわらず、です。
この「全盛期」という言葉の危ういところは、過去の自分が人生の最高地点であり、それ以上に到達する可能性を排除してしまうところにあるのではないでしょうか。歳をとって体力が低下するというのだって、それは単に一般論を言っているだけの話で、全ての人に共通する絶対的なことであるとは限りません(極端な高齢は除きます)。スポーツは基本的に個別性が非常に強く出る世界ですから。
特に、トップアスリートと呼ばれる人たちは、普通の人とは大きく異なる「外れ値」に位置するような人たちです。このような人たちに、安易に一般論を当てはめることは出来ません。「全盛期」を語るということは、自分で限界を作ることにほかなりません。
現役を続ける限り、選手は今の自分を超えようという気持ちを強く持っています。だから、これから全盛期を迎えるつもりでいるのです。
選手が年齢を重ねると、周囲は勝手にベテラン扱いし始め、体力の低下などを指摘します。その選手が競技を続けるにあたって重要な点を、「いかに能力を維持するか」に置こうとします。選手はいつでも向上を目指しているにもかかわらず、です。
先日引退された、女子モーグルの里谷多恵選手がバンクーバーオリンピックで見せた滑りには感動しました。
里谷選手は長野五輪で金メダル、4年後のソルトレークで銅メダルを獲得した一流選手です。バンクーバーの時には、既に過去の人として注目を集める立場ではありませんでした。
しかし、誰からも期待されていないようななかで、彼女だけは、本気で勝負しようとしていたのだと思います。超高速で、まさに鬼気迫る滑りを披露したのです。誰が見ても、勝負しようとしているのが分かるほどでした。結果として転倒してしまいましたが、アスリートとして尊敬に値するものだと思いました。
彼女にとって、全盛期なんてものは関係がないもので、競技を続ける限り常に世界の頂点に立ちたいと考えていたのでしょう。
全盛期だなんてものは、まわりが勝手に言うだけのものです。
選手である以上、そんなものに振り回される必要はありません。競技を続けるなら、現在の課題を探り、それを一つ一つ解決することで今以上の自分を目指していく方がよっぽど生産的だし、見ていて気持ち良い!格好良い!
「全盛期」なんて言葉を使うのは、引退後で十分。
現役選手に対しては、そんな言葉は使わないで応援したいものですね!