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ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

トモダチ100人できるかな?の季節に思う「友達」

4月です。

新年度が始まり、学校では入学シーズンになります。未来に希望を抱き、胸を膨らませて新生活をスタートさせる人も多いでしょう。あるいは、これから新しい人間関係を築くことに関して不安を抱えている人も少なくはないでしょう。

僕が小学校に入学する頃には、「友達100人できるかな?」なんて歌を歌わされました。幼いながらに、「いやいや、無理っしょ」と心の中で突っ込んでたのを思い出します。

 

実際、友達100人ってかなりの人数です。僕が通っていた小学校は、一学年50人未満(男子だけだと25人未満!)でしたから、同じ学年の人全員と「友達」になったとしても、100人には遠く及びません。

当時、小学生は学区外に出てはいけませんでしたし、ネットも普及していませんでした。だから学校以外で同学年の人と出会いようがありませんでした。そんなわけで、僕にとって「友達」になりうる人と出会う場は、小さな田舎の小学校に限られていたんです。

ていうか、人見知りでコミュ力がそんなに高くない僕には、それと呼べる人が10人もいたかどうか……多分いませんでした。他学年の人と友達になるなんて、無理無理。

 

そんな僕も小学校を卒業して十数年、知らぬ間に同学年はもちろんのこと、先輩や後輩の中にも、「友達」と呼んでも良いのではないかという人が出てきました。特に大学ではたくさんの人と知り合って、良好な関係を築くことができました。

 

先日、facebookの「友達」の数を見たら、100人どころか200人を超えているではありませんか。んー、これは単にSNSの力か、それとも僕が頑張ったがゆえにたくさんの人とつながることができたのか。

可能性としては、「友達」と呼ばれる人の質が変わったということも考えられますが。昔は、友達といえば毎日のように直接会っていて、一緒にいて楽しいと思える人だけを指していたような気がします。しかし最近では、一度か二度あっただけでも「友達」として扱われてしまうことも少なくはありません。

 

そんなことを考えると、今の時代では、「友達」の性質を区別して考えることが重要なのかもしれないと思うようになりました。直接会える、何か大切なことを任せられるくらいの「友達」と、知り合い程度、ソーシャルなつながりはあるけれども頻繁に会いたいとまでは思わない「友達」の2種類です。

 

そして、後者の広がりが爆発的に伸びている現代において、前者の希少性・重要性はかえって増すことになるのではないでしょうか。なぜなら、心から自分のことを思ってくれるのは前者ですし、自分が心から大切に思っているのも前者だからです。何か大変なことがあった時に、心配して手を差し伸べてくれるのも自分ー前者のつながりのはずです。 

 

なお、私は後者の意義を否定するつもりはありません。緩やかなネットワークのつながりからは、今までになかった刺激を受け取れる可能性がありますし、ちょっとしたことなら相談もできるでしょう。

こういったネットワークも、もちろん大切にすべきです。

 

 

4月です。春です。出会いの季節です。

これからたくさんの人と出会うでしょう。友達になるでしょう。

前者、つまりこれまでは親友と呼ばれていたかもしれない「友達」と、ソーシャルな関係での「友達」という2つの異なったカテゴリーに属する「友達」ができています。

多くの人と出会い、知的刺激をうけつつネットワークを広げましょう。その一方で、本当に自分のことを思ってくれるような「友達」のことを忘れないようにしましょう。

 

「トモダチ100人できるかな?」と歌っていたあの頃の気持ちを忘れずに、今年度も頑張りましょう。