虹の色は本当に7色? ~ステレオタイプと多様性のはざまで~
お疲れ様です。
GWも終わり、多くの方は今日から仕事でしょうか。ニート・フリーターの僕は、今日も明日もGWです……。
※僕の愛するオステオスペルマム
今日は、HBPJ参加記事です。テーマは「虹」。
先ほど「wikipedia」という便利なもので虹について軽く調べてみたところ、日本では一般に虹は七色ということになっているようですね。
これはニュートンの研究に由来する学校教育に由来するらしいです。ただ、実際にははっきり七色に分かれているという訳ではなく、色と色の間は連続的な変化があるものらしいです。つまりどこをとっても同じ色ではないということです。
この辺のことは、昔の哲学者の人なんかが色々と語ってくれそうですね。たとえば、リンゴを見たときに、僕たちはリンゴの赤さにも個々に違いがあるにもかかわらず、それらの違いを無視して「リンゴは赤」とひとくくりにしてしまいます。
人が人と接するときにも、似たことが言えると思います。
世代間では、「最近のゆとり世代は~~~」とか、「だから老人は~~~」というのが定番です。また、他人の所属や経歴に着目する場合もあります。僕はよく「体育学部出身だから~~でしょ!」と言われます。
こうした大雑把な分類は物事を考えるときには分かりやすく便利なものです。ある人をある分類に当てはめれば、その人を理解したような気になれます。
その一方で、大雑把な分類に人を当てはめることは、個々人の差異を無視してしまうことになります。これにより、人に対する正確な理解が求められる場合には、分類と当てはめが障害となってしまう。
おそらく、これがいわゆるステレオタイプ、先入観というものなんだと思います。
僕たちはステレオタイプで他人を判断してはいけないとか、偏見を排してということは理解しているはずです。しかし、なかなか排せないのも事実。余程意識していなければ、そうしたステレオタイプ、固定観念に絡めとられてしまいます。
僕自身、「あの人は○○だからなぁ」という思考パターンに陥りそうになることが、沢山あります。そのたびに「しまった!」と考え直します。
個々の差異をきちんと区別して認識するためには何が必要なのでしょうね。
簡単に「意識改革!!」みたいなことを言っても、それが出来ないから苦労しているという話になってしまいます。意識を変えるためのアプローチが必要です。
思うに、「なぜ??」とか「本当に??」という疑問符を頭の中に置くことが比較的簡単で効果的だと思います。疑問符を思い浮かべることにより、普段はあっさりと通り過ぎてしまうようなことも、一度立ち止まって考えることができるようになります。批判的なものの見方も、こういうところから身につくのだと思います。
セクシャリティの観点から虹について書かれている方も多いようです。虹が多様性の象徴というのも、その形・見え方を見ると頷けます。
ただ、その「虹の七色の中に、さらに多様性が潜んでいる」ということについて、僕たちは見過ごしがちです。
人と会うとき、相手の属性に着目するのも悪くはないですが、できることなら、相手それ自体をじっくりと観察し、他の人とどこがどう違うかということにも目を向けたいものです。
ところで、英語の「Rainbow」は、「雨の弓」という意味らしいです。
ぶっちゃけ「そのままじゃん!!」とも思う訳ですが、改めて指摘されると何だか風流ですね。
んだばね。