ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

「日本遺産」制度をつくって世界遺産を目指すとか、正気かい!?

こんばんは。

 

なんだか、日本遺産なるものを創設するらしいですね。

ネーミングからして、世界遺産を意識しているのが分かります。読売新聞が配信している記事にも、日本遺産として登録することにより、知名度を高め、世界遺産入りを目指すという趣旨のことが書かれています。

 

具体的に言うと、政府が世界遺産への登録を目指す地域なんかを、「日本遺産」として登録する制度を創設するための検討に入ったとのことです。

僕からすると、最近は何だか世界遺産も増えすぎていて、正直賞味期限切れ感が半端ないと思っているんですが、どうも政府はそう思っていないようです。ちなみに、この日本遺産では文化遺産のみが対象となるらしく、自然遺産は対象外みたいです。

 

この日本遺産に登録することでクールなJAPANを演出し、海外に日本の文化伝統を展開するつもりです。最近は本当に流行ってますね、クールジャパン。

(本当にうまくいくかなぁ、と率直に思ってしまいます。)

 

しかも、日本遺産に指定したからといって、何か特別な保全措置をする訳ではないそうです。なぜなら、そういった文化財は既に高度な保全処置がなされているから。

じゃあそんな意味わかんないもの作んなくて良いんじゃね、とか思いそうですが……あ、つまり完全に知名度アップを狙う感じですね。

こうやって日本遺産つくりますってことを公表した時点で広告になってますしね。確かにその意味では効果あるかも。

 

 

さて、僕はこの日本遺産の制度、作るべきだろうか、と疑問に感じます。

世界遺産が増えすぎて、一つ一つの価値が相対的に低下しつつある現在、日本にこれ以上世界遺産を増やすべきかどうかも議論の余地があるでしょう。

 

この日本遺産の趣旨が、最終的に世界遺産登録を目指すということですから、おそらく最初に登録されるのは、今申請待ちの遺産でしょう。具体的には、こんな感じになっています ↓

 

彦根城

飛鳥・藤原、富岡製糸場

長崎の境界とかキリスト関係、

国立西洋美術館

北海道東北の縄文遺跡、

宗像・沖ノ鳥島と関連遺産、

山口の近代化産業遺跡、

佐渡鉱山、

百舌鳥・古市古墳

 

 

いやー、どれも日本人としては重要だと思うものばかりです。ですが、ですねぇ、これらは本当に人類が後の世、100年200年、いや、500年先にも残しておくべきだと思っているものですかねぇ?いや、くどいようですが重要であることは確かなんですけどね。

 

もしも、世界の8~9割の人が、「人類史上に遺すべき超重要な遺産だ!」と思っているなら、それは是非とも後世に残すべきでしょう。

しかし、僕はそうではないと感じてしまうのです。これらはあくまで日本史上重要なものであって、世界的に「超」重要なのかと言うと、そこまでは言えないのではないでしょうか。もちろん、人間の歩んだ功績として重要であること自体は否定しませんが。

 

ていうか、最近の世界遺産は、本当に全人類的に重要な文化・自然なのか、疑問の余地が残ります。しかも、先ほども述べましたが、増やせば増やすほど、既存の遺産の価値(ヒトの認識の次元での)が相対的に低下するようにも思えます。

それだったら、本当に重要なものだけを集中的に保護することの方が重要なのではないでしょうか。その方が日本の観光資源を海外に押し出すことだってしやすくなります。インパクト大です。それに、このクールJAPAN戦略だと、観光客誘致などの経済的な側面を強く意識しているように思われますが、それだといろいろと弊害も出ています。

例えば、空中都市として有名なマチュピチュでは、観光客の増加によって石畳の劣化及び破損、地滑りの増加などが問題となっているそうです。

 

 

それに、そもそも世界遺産と言うのは観光客誘致を目的として行うことを第一義的に考えるべきではないでしょう。

 

世界遺産という構想ができた発端をさかのぼると、1950年代のエジプトにさかのぼることになります。第二次大戦終戦から約5年……思ったより最近ですね。

 

このエジプトの件について簡単に説明します。

当時、エジプトの大統領であったナセルさんが、ナイル川の氾濫防止などのためにアスワンハイダムの建設を計画しました。このダム建設後に出来る人口湖の規模は広大で、数多くのヌビア遺跡群(よくわからないけど、多分、超重要な遺跡なんだとおもいます)が水没してしまうとのことでした。

そこで、ユネスコがダムの建設と同じ1960年い、水没してしまう遺跡を救済するためのアピールを展開しました。このアピールには世界中で50か国以上が応え、援助を表明しました。

 

周囲の岩窟ごと移動するなんていう大胆な、人類史上ないような巨大プロジェクトのスタートです。移転するに当たり、最終的には岩窟全体を20~30トンのブロック1000個以上に切り分けて解体し、それぞれ移動して再構築する案が採用されることとなりました。これらの努力の甲斐あって、1968年に移築が完了したそうです。

 

この事業の他、インドネシアのボロブドゥール修復などの活動を契機として、重要な遺産を守るべきであるという機運が高まりました。そして1972年にユネスコ総会で、いわゆる世界遺産条約が締結されたのです。

 

 

こういった背景も知ると、じゃあ、これから申請しようとする遺産に、同じような危機が訪れた場合、世界中の人々が残すべきであると援助の手を差し伸べるとは思えないのです。それらの遺跡の重要性については理解してもらえても、共感的な態度・行動にまでつながるとは思えません。

 

僕なら、日本遺産をつくるにしても、世界遺産委以上に厳格な審査基準を設けて、その代わりに審査に合格した遺産に対してはこれまで以上の保護、援助を行うようにします。

世界遺産までも経済に統合されてしまった現在では、理想ばかり言ってられないのは分かります。しかし、だからこそ、増加するであろう観光客によって自然や文化遺産が壊されることのないように、十分なバックアップ体制を取ることが必要なのではないでしょうか。

 

行為さ関係も、難しいものです。

 

 

※今回の記事は、これから申請しようとしている遺産群の価値を否定する趣旨のものではありません。御不快にさせてしまった場合には、心よりお詫び申し上げます。