ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

愛する後輩たちへ ~関東インカレという区切りを迎えて~

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横浜市の日産スタジアムまで、関東インカレの応援に行ってきました。可愛い後輩たちの大舞台です。

関東インカレは大学陸上の中でも特別大きな大会で、全日本の次にハイレベルな試合が展開されます。オリンピックをはじめとする世界大会に出場するレベルの選手も多数出場します。

多くの大学生にとって、このインカレに出ることこそ競技を続ける意味であり、モチベーションです。僕自身、この試合に出るために、それこそ血のにじむような努力をしたつもりですし、青春時代のすべてを捧げました。

 

 

僕が学部を卒業してから既に数年が経ち、多くの部員が入れ替わって雰囲気も一変した中で、選手たちのひたむきな姿勢だけは当時と何ら変わっていませんでした。

この試合に出れた人、残念ながら選手になれなかった人、試合に出て良い結果を得た人もいれば、予選敗退となった人もいます。大多数の人は自分が望んでいたところまで到達は出来ず、悔しい思いをしたことでしょう。

 

これが人生の糧になるとか、良い思い出として残るでしょう、といった安っぽいことは言えません。ただ、確実に言えるであろうことは、陸上競技に賭けた年月と、その思いは、強く心に残り続けるということです。

陸上競技なんて、何ら腹の足しにもならないし、世の中に貢献するという意味で意義深い営みでもありません。そんなものに熱中し、膨大な時間と労力を費やす僕たちは、はたから見れば馬鹿なのかもしれない。

 

でも、たとえ馬鹿だったとしても、真剣だった。

本当に、振り返って恥ずかしくなるくらいに、そんなに頑張ってるなんて格好悪いよ、と言いたくなるほどに真剣で、必死でした。

競技で記録が伸びなければ、まるで人生の終わりであるかのような悩み方をしました。その一方で、たとえ怪我をしても、きっと復活できるはずだと信じて頑張りぬきました。

 

 

今回出場できなかった選手、不本意な結果に終わった選手の中には、自分が競技を続けてきた意味を見失う者もいることでしょう。

しかし、本来的に競技を続ける意味なんてどうでもよいことだと思うのです。きっと僕たちは意味があるから競技に取り組んだわけじゃないから。

 

僕たちは、ただそこで、一生懸命だった。どんな苦労もいとわずに、一心不乱に取り組んだ。周りの大学生が華やかな大学生活を謳歌しているのを横目で見ながら、毎日汗にまみれていた。

そんなことをするのって、人間くらいだと思いませんか?僕は少なくとも、そういった何かに夢を見て、とにかく追い続ける姿こそ、まさに人間らしい姿だと思うのです。

 

だからこそ、たとえ思い通りにいかなかったとしても、これまでの競技生活を否定しないでほしい。

僕もようやくの思いで関東インカレに出場したのは良いものの、当然の如く力負けし、あっさり予選敗退を喫しました。誰よりも真剣にトレーニングに励み、勉強もした自負がありましたが、競技結果は努力に比例しないものです。自分が部の中で競技者として活動している時には、結果こそすべてで、その結果を出せない自分は最低だと思っていました。

今でも、スポーツにおいて結果が大切であるという思いは変わりません。ただ、結果が出せないのは必ずしも自分の努力が足りないからだとは限らないとも思うのです。むしろ努力した人ほど、そういった自責の念に駆られるのではないかと思います。

 

 

今は思い切り落ち込めばよい。

ここで落ち込めないようなら、僕はその人の競技人生を疑う。頑張った分だけ、理想と現実の落差を感じるものだと思う。だから、落ち込んで落ち込んで、もうダメだって思うのも仕方がないこと。

でも、そこからもう一度、這い上がってきてほしい。きっと、ここが競技人生の中で一番つらい局面になっている人も多い。その辛さを自分なりの方法で消化して欲しい。

 

僕たちが青春のすべてをささげた陸上競技ってやつは、きっとそれほど悪くないものだ。僕たちの青春だって、悪くないものだったはずだ。僕は少なくともそう思ってる。

 

これから全日本インカレがあるのだけど、多くの人にとって、それは遠い世界の話。ここで選手としての一区切りという人の方が圧倒的に多い。時間をかけて気持ちの整理をして、自分の大学生活に誇りを持ってほしい。

 

お疲れ、後輩。