ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

日本の体育・スポーツ界の何がダメなのか① ~問題認識力と言語運用能力に着目して~

先日、数年ぶりに会った友人がいます。陸上関係ではない大学の同期です。

体育学部出身者同士ということもあり、自然と体育スポーツの話に。彼は、そこで「日本の体育スポーツ、特にコーチングはダメだ!」という持論を展開します。

 

 

僕も、問題は多いと感じているので、とりあえず同意しました。

しかし、自分が多少体育スポーツの世界から離れていることもあり、現状認識が正しいのか自信がありません。「そうだ、ずっと体育スポーツ界にいる人に聞けば、自分の認識が正しいのか確認できるかもしれない!」と思い付き、加えて質問。

 

僕「ダメって、一体どこがどうダメなの?」

友「いや、だってダメでしょ、コーチングが科学的じゃないし」

僕「ふーん、科学的でないか……じゃあ、科学的になれば良くなるの?」

友「ヨーロッパとかそうだし。日本は遅れてるよ」

僕「どうすれば科学的になると思う?それは研究と現場の間で知識とかが共有されてないってこと?それとも他に何か問題があるの?どの問題を解決すれば○○が良いと思うコーチングの姿になるの?」

友「研究と現場の乖離はあると思うけど……。いや、とにかく良くないよね」←イライラし始める

僕「そこを具体的に洗い出すことが、これから必要なのかもね。そうしないと問題がどこにあって、何から手を付けるのが良いか判断しづらいし。結局問題は解決されないよね。んー、俺は、体育スポーツ指導者にとって、どこを自分が感じていることをきちんと言語化する能力とかも大切だと思うんだよねー。その辺も欠けてると思うわ―(半分皮肉)」

 

 

同期の彼がイライラし始めたのが分かったので、適当に話を打ち切りました。最後に気付かれないように皮肉を言いつつ。残念ながら、科学的であることが大切とか言いつつ、とてもではないけど科学的な根拠を的確に示した指導が出来るようには思えませんでしたし。

 

今回、僕が友人と話していて気付いた、体育スポーツ・コーチング界で問題であろうと感じたことは、「問題を漠然とした印象や感情でとらえてしまうこと」、「体育に携わる人間の言語運用能力が低い」ことです。どの世界でも重要な能力だと思いますが、この能力が著しく低い。

 

 

問題を漠然とした印象や感情で語ってしまうことは、体育スポーツを出た人の特徴の一つに挙げられると思います。

先の例でも挙げた通り、自分の中に根拠となるものがはっきりしないままに、なんとなくの日常的な不満などの憂さ晴らし(?)のように批判してしまいます。

具体的にどこがどう悪くて、何を解決したいのか、解決するためにはどうすればよいのかということまで考えられないんです。PDCAサイクルを意識して競技してきたはずなんですがね……。

 

 

体育スポーツの世界では、感覚というものが非常に重要です。それらを言語化することはかなり困難な作業ですし、そもそも言葉で正確に表すことは無理とも言われます。

正直、僕も無理だと思っています。だからこそ、それに類似する感覚などをもとに、一つの感覚について、多方面からあーでもない、こーでもない、と議論することが大切です。

しかし、最初から言葉で表現することが無理だと割り切るあまり、言語化しようという努力を放棄してしまっている人が少なくないことも事実です。

 

この言語運用能力ともいえる能力は、なにも直接的な指導の場面においてのみ重要、という訳ではありません。

指導者間の情報共有でも必要ですし、指導者と選手間のコミュニケーションにも有益な力です。

また、研究者を目指している人に不可欠な能力であることは、言うまでもないことでしょう。他分野の優秀な研究者などは、当然に身に着けている能力でしょう。現実的に、研究費獲得に必要な能力でもあります。

 

 

他にも問題は多数あると思いますが、今回はとりあえず問題を絞ってみました。

以前、体罰の問題などが社会問題となりましたが、あの問題に関しても、特に言語運用能力の低さは大いに影響しているのではないかと考えます。

「言って分からないのだから、体で覚えろ!」と言われることもありますが、そもそも「ていうか、なんて表現すればよいか分かんないんだよ!」という方が適切ではないでしょうか。まぁ、そのことに指導者が気付いていない場合も多い気もするのですが。

 

 

長くなってきたので、続きは次回。

今回は問題点を指摘してみたので、どうすればそれを解決できるか、僕の悪い頭で考えてみます。