体育学部出身者のすべてが「体育会系」であるとは限らない
「体育会系」という言葉があります。
世間一般では、主に大学の運動部(サークルではない)に所属していた人々や、そういった人々が持つような特徴を持つ人や団体に対して使います。
体育会系には、良いイメージと悪いイメージの両方があります。
良いイメージとしては、人の言ったことは素直に聞く、従順、忍耐強い、ノリが良いなどです。
その一方で、悪いイメージもあります。悪ノリしたり、節度のない行動をとってしまったり、あるいは騒がしいイメージをもたれる方も多いかと思います。上下関係は絶対で、思考停止と思われることもあるようです。
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このイメージが必ずしも間違っているとも思いません。
僕が通っていた大学でも、そのようなタイプの人は存在しました。うるさくてノリ重視、論理的なものや合理的なものよりも、その場の雰囲気を重んじる感じです。
若干脱線しますが、そういう人の中には、スウェットで大学に通う人も少なくはありませんでした。んで、スウェットで授業に出てる人は、他学部から嫌がられていました。大学にスウェットで来るだなんて信じられない!というものです。
しかし、体育学部だからといって、そんな人ばかりではないのも確かです。まぁ、どこに行っても多様な人が集まっているわけですから、当然にいろんなタイプの人がいます。
先に書いたように、僕が通っていた大学にも、言ってみればイメージ通りの体育会系の人がいました。しかしむしろそんなイメージ通りの体育会系的な人はそこまで多くありませんでした。
それよりも、物静かな人や、ちょっと疲れた感じの人(これは日々の練習で本当に疲れているのだと思います)の方が多いように感じられました。
自分の周りにいた人が、いわゆる体育会系のイメージとは違う人が多かったこと、また、自分自身そういったタイプの人間ではなかったことなどから、「あれ!?体育会系のノリじゃないの?」なんて言われると、戸惑ってしまってました。
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大学で教わったことに、こんな感じの内容のものがありました。
「君たちは、体育人たれ。これから君たちは、競技に打ち込み、体育・スポーツを通じて心身ともに発達させるだろう。それは君たちの財産になる。しかし、そこで終わってしまってはいけない。体育・スポーツを通じて培ってきたものは、自分の中だけで完結させるのではなく、それを社会に還元することが重要だ。そのように考え、実行しようとする精神こそ、体育で学ぶべきことだ。」
柔道の創始者である嘉納治五郎の考えに似ていますね。「精力善用、自他共栄」の精神に合致します。
こういったことを大真面目に考えている体育学部出身者も少なくはありません。
しかし、体育学部出身者は、何かにつけて「体育会系」だと思われ、しかもその際には悪いイメージを先行させて見られてしまいます。
こういったイメージは、まさに体育を学んだ自分たちが変えていこうとしなければならないでしょう。それを未だに出来ていないのですから、今後頑張らなければならないということになります。
まあしかし、少なくとも、体育出身者にもいろんなタイプの人がいるということ、いわゆる体育会系の人ばかりではないということは、もっと多くの人に知ってもらいたいものです。
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久々に文章を書くと、書くのが遅いこと遅いこと……文章は定期的に書いておいた方が良いですね。