ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

決して強くない僕が、競技を続ける理由

僕は、中学から現在に至るまで陸上競技を続けている。大学院を修了しているこの年齢になっても、だ。

 

トップアスリートではない。県大会やブロック大会で勝つことは出来るので、一般的に弱いとは言われないだろうが、僕は日本最高レベルの人たちと一緒に練習、競技した経験を通して、彼らほど強くはなれないということを悟った。自分では、「俺は弱いんだ……」というある種の劣等感を強く抱いている。

努力は、したと思う。競技場での練習はもちろんのこと、競技に関わる勉強もしたし、栄養や休養などにも気を遣った。その結果として、「勝てない」と思った。

それなのになぜ、僕は陸上を続けているのだろう。

 

 

辞めようと思ったら辞められる理由はある。

自分に限界を感じた、と言えばそれだけで済む話かもしれない。新しい楽しみを見つけたとか、勉強が忙しくなった、仕事に就くし陸上にかまけてられないと言っても、大体の人は納得してくれるだろう。

多くの人はこういった理由で競技を離れるし、こういった理由は大変もっともなことだと思う。こうして挙げたものは全て今の僕に当てはまるものでもある。

 

 

逆に、続ける理由を聞かれた時の方が、答えるのが難しい。

競技それ自体が楽しいとか、気晴らしになるということはあるだろう。実際に最近は、昔ほど練習時間を確保し、自分のすべてをかけて競技に取り組んでいるわけでもないので、多少の楽しみ感はある。

それに、競技に取り組むことで、先輩や後輩との関係を維持でき、陸上競技に関するコミュニティに属することが可能になる。コミュニティで共通の話題を持つ他人と会話することは楽しい。会話は弾み、たがいに共感しあえる場合が多い。自分の居場所を確保することができるという意味でも、陸上を続ける意味を見いだせるかもしれない。

 

しかし、楽しいことは陸上競技以外にもたくさんあるし、僕は陸上競技以外のコミュニティにも参加できる。だから、「楽しいから」とか「居場所を確保したいから」という理由だけで続けるというのには、多少の無理がある。

それに、いくら陸上が楽しいと言っても、自分が弱いのでは楽しさは感じにくい。陸上自体の楽しさよりも、弱い自分に対する失望感や勝てない悔しさの方がよほど大きい。

 

 

僕が陸上競技を続ける理由の最たるものは、「コンプレックスを克服したいという想い」だと思う。

自分への失望感や、勝てない悔しさは、これまで常に自分を苦しめてきた。大学時代は特に辛く、止めて楽になりたいと思い続けていた。しかし、逆説的なことではあるが、この苦しさ、辛さこそ、僕を陸上に向かわせる原動力であるように思える。

 

確かに、陸上を止めてしまえば辛い練習はせずに済む。他人に対して、止める理由だって説明できるから、世間的にまずいことは一つもない。僕は陸上よりも勉強系の方が得意だし、周りの人もそう思っているだろうから、止めるにあたって「もったいない」という人もいないだろう。

陸上を止めた僕を、社会は受容してくれる……はず(だと思いたい)。

 

このように、僕が陸上を止めることに異論を持つ人はいない。就職活動中に「え?今も陸上を続けてるんですか?」と怪訝な顔をされたこともある。陸上から引退することは、むしろ歓迎されることなのかもしれない。

 

 

だけど、たとえ周りのみんなが何を言ってくれたとしても、自分自身の劣等感や、途中であきらめてしまったことからくる挫折感などは、なくならないように思える。

もちろん、続けたからといってトップ選手のようになれるわけではない。自分の実力を知ってしまった僕にとって、トップアスリートになるなんてことは、夢物語でしかない。

 

でも、僕はまだ自分の限界には達していないと思う。三段跳のことをどれだけ分かっているだろう?技術の追求は、果てしないと言っても良いほどのものだ。きっと、技術的な向上は見込める。体力水準だって、まだまだ伸ばせる年齢だ。

それなのに、その辺を無視して止めてしまったら、きっと将来、ものすごく後悔すると思った。「あの時なんで止めてしまったんだ、馬鹿野郎」と昔の自分を罵ることになるだろう。そして、ずーっと後悔を抱えたまま、少なくとももやもやとしたものを抱えたまま生きていくことになる。

 

結局出れずじまいだった全日本インカレ。その出場はもう叶わない。

でも、せめてその標準記録を破ることができれば、「必死に頑張ったのに、俺は全然跳べなかった」というコンプレックスくらいは解消できるかもしれない。

 

 

自分のすべてを賭けるくらいのつもりで頑張ってきた陸上競技。

僕は陸上競技を頑張ってきたけど、頑張った分だけ、目標に届かなかったという敗北感、コンプレックスを負うことにもなった。

 

僕は多分、陸上競技が純粋に好きだった。

陸上競技を好きだと言える状態で、これからの人生を歩んでいきたい。そのためには、自分なりにコンプレックスを解消し、敗北感と決別するしかないように思う。

 

だから、僕はまだ競技を続ける。

負の感情を断ち切り、これから先の人生でも陸上競技を好きであり続けるために。

 

 

 

※ちなみに……

勝てないと思ってしまったことそれ自体が、競技力向上を阻害していた可能性もあります。しかし、それがなかったとしても、望んでいるような好結果を得ることは難しかっただろうと感じています。