ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

高校まで過ごしていた地元のことを実は全然知らなかった話

車を降りると潮の匂いが鼻をつき、目の前には何百何千ものウミネコ。100段もないと思われる階段を踏みしめるように登ってみました。懐かしいとしか言いようがありませんでした。来たこともないのに。

 

本当は、初めてというわけではありません。記憶にないだけで、僕が小さい頃、両親は連れてきたと言います。しかし全く記憶にありません。

高校生まで生活した故郷ですから、新聞などで何度も目にしているし、話に出てくることは度々ありました。にもかかわらず、実際に足を運んでみたことは全くありませんでした。

 

 

なぜ訪れようとしなかったんだろう、と考えようとして、すぐに思いとどまりました。考えるまでもない、当たり前の話だったからです。

当時の僕は陸上で忙しく、ほかのことにかまっている余裕なんてありませんでした。平日は毎日学校に行って練習して、帰って寝ての繰り返し。休日だって大抵は練習か試合でした。

 

たまの休みにも特段何処かに行くなんてことはありません。友達も極めて少なかったし、当然彼女なんていなかったのですから。仮にいたとしても、中高生であれば街で買い物をしたり、ボーリングやカラオケにでも行くのが普通でしょう。そんなわけで、誰かと一緒に外出すること自体稀という状況です。

そもそも、中学生や高校生が地元を観光することなんてないでしょう。行ったことがないような気持ちになっても不思議ではありません。

 

 

それが今、僕はカメラを肩から下げ、一面の菜の花の上を悠々と飛び回るウミネコを眺めています。ほとんど嗅いだこともない潮の香りに懐かしさを、ウミネコの鳴き声が耳に心地よく感じます。

 

一緒に来ていた両親は、僕がほとんど初めてという状態でここを訪れたという事実に驚いています。無理もありません、僕が高校を卒業して家を出たのはもうだいぶ前の話です。僕が家を出てからの両親はあちこちに行くようになったのですから、両親にとっては何度も行ったことがあって当然という場所だったのです。

 

 

意外と知らない故郷の良さ。働いて多少のお金ならなんとかなる今になって行ってみると、新しい発見ばかりです。僕たちは周囲の環境に影響を受けながら人格を形成しています。知らなかった故郷を巡ることは、知らない自分を訪ねることでもあります。

 

僕が故郷を訪れた時、正直かなり疲れていました。そんなときにわざわざ出歩くのは非常に億劫だ、と感じたのも事実です。それが実際に行ってみると、無理してよかった、と思えてしまったのだから、ますます不思議です。むしろ心身ともに疲れているからこそ、自分の故郷に癒されるような感覚になったのだと思います。

 

疲れたなぁ、そんな風に感じたら、一度地元に帰ってみるのも良いかもしれません。自分が知らなかった故郷に出会い、自分の生まれ育った地域のことを知るのも悪くはないものです。