花火は子どものためのものなのか?
[HBPJ] お題ー花火
実は、僕は花火にまつわる思い出らしいものを持っていない。
両親によると、小さなころに地元の花火大会へ行き、そこで「ぶよ」(海にいる蚊みたいなやつらしい)に刺され、体中が腫れて大変だったらしい。それ以来、両親は怖くて海の花火大会に行くのを止めたそうだ。
そう、僕は花火に関する思い出があまりない。
子ども会などでちょっとだけ遊んだくらいだ。知り合いの中には、毎年のように海に行って、バーベキュー&花火、とか、深夜の公園でロケット花火を打つとかしてる奴もいたけど、そんな経験もない。
◇
では、そういった経験がないということで花火が嫌いかというと、そんなことはない。むしろ、経験していないからこそ、これからやってみたいという想いがある。
小さいころは、花火というのは子供がするものだと思っていた。だって大の大人が小さな火遊びに心をときめかせるなんて、どう考えてもおかしいように思えたからだ。大人になってからの花火というのは、あくまでも子供の頃を懐かしむためにあるようなもののような気がしていた。
しかし、おそらく僕のかつての考えは間違っていた。
こうしてそこそこ歳とってみて思うことには、むしろ子供の頃よりも今の方が、花火をやってみたいという気持ちになる。
小さなころにやっていた、あるいは見ていた花火というのは、あくまでも親が主体となってするものだった。自分でどんな花火をしようとか、どこの花火大会に行こうなんてことは考えない。
それは当然といえば当然の話で、子どもの頃は花火を買うだけの十分なお金もないし、花火大会に行くための車もない。子どもに選択の権利なんてものはなくて、あくまでも親たちからの恵みを有難く受けるしかできなかった。
でも今は違う。僕はまだ若いし、そんなにお金もないけど、好きに花火を買うくらいのお金はあるし、その気になれば電車を使って花火大会に行くことくらいできる。
それに、今は自分の中の良い友人を誘って花火ができる。昔は地域の狭いコミュニティの中にしか知り合いは居なかったけど、大学を卒業した今、僕はたくさんの人と出会ってきたし、その中で気の合う人と付き合うことができるからだ。
僕は、昔に比べて圧倒的に自由に行動できるんだ。
◇
以前、40歳になっても~~でも書いたことだけど、僕のメンタリティは昔とそれほど変わっていない。歳をったらザ・大人みたいになると思っていたけど、実際には子供心そのものだ。花火をしたら無邪気に楽しめるだろう。
子どものころから心は変わらず、自由を得た。
これでどうして花火がつまらないことがあるだろう。きっと楽しいはずだ。
今年こそ、友人たちと楽しく花火に興じたい。
期日を失念し、投稿が遅くなってしまいました……。