ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

勉強したところで人生の選択肢が広がるとは限らない

こんちは!

 

いきなりですが、何だか人生の選択って難しいなー、と感じる今日この頃です。

小学校から高校卒業に至るまで、「勉強しておけば人生の選択肢が広がるよ」「大学に行っといた方が良いから」なんていうアドバイスに従って生きてきたのですが、最近はそうともいえない気がしています。

 

僕はそこそこ成績が良かったし(ちゃんと勉強してたかはともかく)、大学にも行きました。大学ではたくさんの得難い仲間と出会い、素晴らしい経験が出来たと思っています。だから基本的に不満はないです。

 

ただ、それとは別の話として、大学に行ったから選択肢が広がったかと言われると、実はそうではない気がします。僕の行ってた大学は、世間的にはそこそこ偏差値が高い大学でしたので、優秀っぽい学生が結構来てましたし、そういう学生は一流企業に就職してる場合が多かった。大学院に進学する人も多かったし。

 

選択肢の多さとい観点から彼らを見た場合、確かに、そういう人は、その気になれば一流企業から、あまり学歴や学力を問われない仕事まで、たくさんの仕事の中から自分の就く仕事を選べる状況にあります。しかし、「その気になれば」というのが非常に難しいところで、実際には周りの雰囲気や愛情(!?)により、名の知れた有名企業に入ること、もしくは公務員になることが既定路線みたいになっていることが多いのではないでしょうか。

 

実際、親的な発想で言うと、「高い金かけて大学までやったんだから、良い会社入ってしっかり稼ぎなさい」ということになります。気持ちは分からなくもないですよね。

日本の社会では、大学を卒業してプラプラすることは許されにくい訳で、そんなことをしているとやり直しがきかないなんて言われるんですね、悲しいことに。僕みたいにフリーターになるなんて、もっての外。

 

これがもし、高卒でフリーターをしている人であれば、会社に入って高給取りになる可能性が低いこともあって、結構自由に進路選択をすることができる。これはどうしてでしょう?どうせ大金稼ぐのは難しいから、何でもよいんじゃない?ってこと!?

 

例えば、職人になることを例にとってみましょう。大卒や大学院卒で料理人になる人はかなり少ないだろうし、そもそも周囲が押しとどめようとするはずです。自分がそういうことを言いだしたことがないからあくまで想像ですけど。

そうなると、確かに選択肢の一つとして、料理人になることを考えることはできますが、なるためのハードルは、高卒の人のそれと比べて高くなりますよね。実質的には選択肢が狭まることが予想される。

また、ダイビングのインストラクターになりたいと思っても、打算的な考えが頭を過り、思い切ってそちらの道に舵を切ることはしにくい。なんだかんだいってお金は大事。

 

このように、大学や大学院まで行くことにより、一見すると多種多様な進路選択が可能になるようにも思えますが、実際にはそう簡単な話ではないということです。お金や年齢の問題、周りの雰囲気などにより、一定の進路しかとりにくい状況になっています。

しかも、選択肢が多ければ多いほど悩みは深まり、決断力が必要になるのではないでしょうか。一般的な道を外れて、世間的に見たら「失敗」状態になった時、周りの人からは「それ見たことか」と後ろ指を指されるかと思うと、一般的な道以外を選択することには相当の勇気が必要です。

 

人生、難しいですね。

隣の芝は青い、とは言い得て妙です。

 

でも実は、人から見たらリスキーな選択をした人の方が、いつか大化けする可能性があるんじゃない?とか思ったり。

ではでは。