ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

擬音語ばかり使う監督・コーチは、言語運用能力が低いのだろうか?

こんばんは、nobitaです。
今日は、擬音語ばかり使うコーチについて書いてみます。

 

長嶋監督をはじめ、様々な分野の監督・コーチが、選手を指導する際に擬音語を使いますね。「バーン!ってやるんだよ」とか、「ヒィウーーンって感じだってば!」とか。

こういうのってまったくもって意味わからん……と昔は思っていました。まあ、今でも完全に理解できているわけではありませんが。

 

小学生、中学生の頃は、こういう人を割と馬鹿にしてる子って多いですよね。スポーツに造詣の深い先生でもそばにいない限り、「あんなの意味分かんねー」ってなるはずです。僕自身、馬鹿にこそしないものの、もっと誰にでも分かるように言語化できないものだろうか、と考えていました。

 

でも、大学に入って一流選手を見たり、自分の競技力が上がるにつれて、それまで自分が考えていたことの中に、間違いがあるように思えてきました。昔の僕は、感覚的なことを、擬音語のような分かりにくい言葉ではなく、伝わりやすいように言語化することが大切だと考えていましたが、それではだめだということに気付いたんです。

確かに、ある程度のレベルまでは、本当に分かりやすく噛み砕いて言語化し、多くの人が理解できるようにすることが出来るかもしれません。しかし、それは無理やり言語化している部分があるということで、指導している側が本当に感じていることを適切に伝えきれている訳ではありません。運動というのは、「身体知」が重要です。感覚やイメージが重要なんです。

 

走り出す瞬間に、「股関節を○○度まで屈曲させて~~~」というのではなく、「脚をスイっと、波になるようなイメージで出す」の方が、おそらく本質に近いのです。そして、そういうことを理解できる能力、感じることのできる能力は、センスといわれる部分の重要な部分を占めているように思えます。レベルが上がれば上がるほど重要になる力です。

 

このことは、レベルに応じて指導に用いる言葉を変えるべきであろうことも意味しています。

基礎基本の型を身に着けさせるような段階、つまり小中学生に対しては、あまり感覚的な擬音語を多用することは適切ではないでしょう(才能がある子がいる場合を除く)。

逆に、大学生になってまで感覚的な言葉がけが行われないようであれば、そこで競技する選手は、競技の本質や身体感覚を磨けないままに競技生活を終えてしまう可能性があります。大学生になってまで競技を続ける以上、出来れば競技とは何か、私の身体とは何か、くらい考えながら取り組みたいですよね。

 

こういう身体知、感覚系の話になると、それらを経験していない、あるいは経験の少ない一般の人には理解されづらいです。今の世の中では、論理力に代表される言語力や、数的な能力、情報系の技術など、頭で考える知識が重要視されています。もちろんそれらが重要であることに異論はないのですが、その一方で、頭で考えるだけではわからないような知識、感じることの重要性が認識されにくくなっているように思います。

せめて「バーン!って感じだよ」という言葉を聞いたときに、「へ~、そういうもんなんだ。」と思ってもらえるような社会であってほしいです。

 

そうだ、これを勝手に感覚理解・共感力(センスねーな)と名付けよう。