ざしわらの家

日々思ったことを書き連ねる雑記ブログ。元ニート。

違いが分かるようになれば、人生はもっと豊かになるかもしれない

こんばんは。

先日、友人の演奏会に行ってきました。

ちなみに、僕は音楽のことは全然分かりません。小学生の頃、通知表に△が2つ3つついてました。かろうじてB評価って感じです。

 

当時はそういう評価をされていたので、音楽が嫌いでしたが、今では結構好きです。

ちょっと脱線しますが、こういう評価が音楽嫌いを作る要因の一つになってますよね、確実に。僕は小学校の頃の評価がコンプレックスになっていて、大学に入ってしばらくするまで、カラオケも行きたくありませんでした。「どうせ僕は下手くそですよー!!」みたいな気持ちです。これは体育も同様でしょうね。低い評価を付けるなら、その後のフォローまでしっかりして欲しいものです(最低限できるようにさせるとか)。

 

まあまあ、話は音楽に戻ります。

僕は、自分で歌ったり演奏することは出来ませんが、音楽を聞くことは出来ます。しかも聞くのは好き。

ただし、本当に「聞くだけ」であって、その演奏が上手かどうかの判断は出来ません。はっきり言って、み~んな、「素晴らしい!」と思ってしまいます。

 

んでもって、こういうところで、自分が完全に素人であるということを、強く自覚します。流石に明らかにダメなものは分かりますが、良いもの同士の違いが分からないのです。

 

これが陸上競技、特に三段跳であれば、あの速い助走から着地までの流れを一見しただけで、なんらかの指摘は出来ると思いますし、跳躍の良し悪しを判断することができます。もっと言ってしまえば、助走の最初数歩を見ただけで、何となくその後の展開まで想像できてしまいます。

つまり、僕は三段跳については、違いが分かるということになります。これは、明らかにダメなものと良いものの違いだけではなく、良いもの同士を比べても違いが分かります。たとえば、一流選手が6回の試技を行う中で、どの試技のどこが良くて、どこがダメだったのかということが分かるんです。

 

こういったこと、特に、上手なもの同士を比べて、その違いが分かるかどうかが、その道について知っているか(ある程度以上の理解があるか)どうかの一つの基準になるんじゃない?と思うんです。

陸上競技に取り組んでいる人でも、趣味的にしか取り組んでこなかった人などの中には、違いが分からない人も少なからず存在します。これは、先のエントリで紹介した1万時間の法則とかも関係してるかもしれません。とにかく長い時間、きちんとした姿勢で携わっていれば、おのずと違いが見えてくる場合もあるでしょう。

 

演奏会でいろいろな曲を聴いて、ちょっぴり幸せな気分になりました。

同時に、曲の良さ、具体的にどこがどのように良いのか分かる人を見て、羨ましいと思いました。違いが分かるほどの能力があれば、人生が豊かになるでしょう。

 

おそらく、いろいろな人が、自分の得意分野というものを持っていると思います。スポーツ、音楽、絵画、コンピューター、料理、などなど。こういう得意分野を沢山持っていたら、きっと楽しめることが増えるんでしょうね。

 

違いの分かる男になりたいものです。